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「じゃぁ、行くか?」「ああ、行こう。」二人は動かない。
(『ゴドーを待ちながら』作/サミュエル・ベケット、訳/安堂信也・高橋康也より 抜粋)
戯曲『ゴドーを待ちながら』は矛盾を孕んだこの台詞で幕を降ろす。二十世紀を代表 する劇作家・作家サミュエル・ベケットのこの戯曲は一応、二幕ものの悲喜劇の体裁 をとっている。二幕とも、二人の何者か分からない男たちが延々と宙吊りになった意 味のない言葉をやりとりし続ける。「ゴドー」という何者かを待ちながら。 この戯曲からは思想的「内容」の深さよりシンメトリカルな「形式」の美しさに魅せ られる。戯曲の中の言葉(台詞)は形式的には対称的、あるいはズレを含んだ反覆で あるが内容的には矛盾・二重拘束であり、内部からの論理的崩壊をもたらしている。 言葉そのものには、書かれたもの、話されたものを含め、一種のテレ・コミュニケー ションとしての側面もある。なぜなら、その場にいなくても、そして書いた本人が不 在でも、オートマティックな機械のように言葉は作用するからである。つまり言葉は 機械でありメディア・テクノロジーである。言葉は人間的な主体から見ると完全に 「外的なもの」であり、そこでは言葉は自立した意味内容を生成している。 一見すると全く意味のない言葉自体が呈する複数の読みの可能性。それらのあいだを 選択する行為こそが「解釈」につながる。それが現代の大きな物語を欠いた混沌とし た世界を「解釈」する一つの術に違いない。
【作品概要】
部屋の一面には『ゴドーを待ちながら』の第一幕の和訳テキスト、反対の面には第二 幕の和訳テキストが投影され読解可能な速さでスクロール(横方向に流れて表示)し ている。鑑賞者はそのテキストの上を手でなぞることでスクロールの速さを調整する ことが可能である(逆方向へのスクロールも可能)。片方の面に鑑賞者がいる(もし くは操作している)場合、もう一方の面では反対の面で見ている(操作している)テ キストが薄く重なり表示される。そのとき速さも同じように表示されている。また操 作した内容は記録され一定の規則で繰り返し反覆される。鑑賞者はいるはずのない 「誰か」の行為を目にしながら二つの面を移動・反覆しながらテキストを読みすすめる。
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