  
目の前で揺らぐ火に、私はただ向かい合う。 
  刻々と静かに、荒々しく変化する火は何の意味も背負わない。 
  ただ純粋に燃焼するエネルギーである。 
火とは、それ単体で存在することはない。何かに支えられることで立ち現れる。 
  しかし、現れた火は燃やす対象を変化させずにはいられない。 
  そして向き合う私もまた、火によって変化させられる対象となる。 
山で拾ってきた落ち木を燃やし、立ち上る火をドローイングし記憶する。 
  そして燃え残った木を使い、私が向き合った火を描く。 
描かれた火は私の記憶であると同時に、燃やされた木に内包された記憶である。 
  蓄積された記憶と自身の身体感覚を介入させながら循環する作業は、 
  界面を揺らぎながら火の持つ深度に迫るものではないかと考えた。 
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